로그인空の旅は、サラリアが想像していたよりもずっと快適だった。
飛び立つ瞬間こそ大きく身体が揺れたものの、その後は嘘のように安定している。
オーレリウスの風魔法が空気の流れを整えているらしく、鳥籠のような馬車は風に流されることなく滑るように空を進んでいた。
窓の外には雲海が広がる。
青空はどこまでも高く、世界そのものが穏やかだった。
旅の間、オーレリウスはトールの質問へ一つひとつ丁寧に答えていた。
竜族のこと。
魔法のこと。
ドラコニアの暮らし。
そして――発現のことも。
『発現の兆候が現れましたら、私がトール様を専用の浮島へお連れします』
「無人、なのですよね?」
『そうです。そこで思う存分暴れていただきます』
さらりと言われた言葉に、サラリアは目を瞬かせた。
『島中を水浸しにしても構いませんし、最悪の場合は浮島を壊してしまっても問題ありません』
「こ……壊す?」
「竜族のラーシュ様にとって番は絶対。対して人族であるサラリア様にとって番は意味を持たない」ラパンは柔らかく微笑みながら、サラリアの前へ紅茶を置いた。「それが一般的な見方です」湯気が静かに立ち上る。ラパンはその向こうからサラリアを見つめた。「ですが、本当に分かりませんの?」「……え?」「サラリア様には『番』という感覚はございませんの?」「それは……どういう?」思わず聞き返す。「ラーシュ様と初めてお会いになったとき、この人だと感じませんでした?」その問いにサラリアの心臓が大きく脈打つ。あの夜の出会いを思い出す。「兎族にも番という概念はありませんが、私は初めてオーレリウスに会った瞬間に“この人だ”と感じましたの」ラパンの表情は恋する女性そのものだった。「私、あの人と出会うまではとても惚れっぽかったのです」そう言って笑う。「兎族は男も女も恋多き種族なのです。性的な欲求も強く、今日はこの方、明日はあの方という感覚で複数の方と関係を持つことも珍しくありません」サラリアは思わず目を丸くした。「驚かれました?」「……少し」「でも、オーレリウスのときは違いました」ラパンは胸へそっと手を当てる。「絶対にこの人。この人でなければ嫌だと、生まれて初めて思いました」静かな声だった。「オーレリウスも同じだったのでしょうね。私たちは出会ってすぐ結ばれました」そして優しく問い掛ける。「サラリア様。そのような感覚に覚えはございませんか?」その瞬間、サラリアの身体が強張った。思い出す。初めてラーシュと出会った夜。彼の瞳を見た瞬間。触れられた瞬間。胸の奥が熱くなり、呼吸が乱
「陛下は、幼い頃ずっと本を読むことを禁じられていたそうですわ」「……え?」思いもよらない言葉にサラリアは目を瞬かせた。読書の何が面白いのか分からない。本を読むくらいなら身体を動かしたほうがいい。そんなふうに笑っていたラーシュの姿しか思い浮かばない。「祖母である女帝シーリア様が、幼い頃から陛下を厳しく管理していらっしゃったそうですの」「管理……」「シーリア様のお言葉以外を聞くことが許されなかったそうです」ラパンは穏やかな口調で続ける。「本も、外の知識も、シーリア様以外は必要としないように管理されていたそうですわ」サラリアは黙って耳を傾けた。「先代である御父上様がお亡くなりになったあと、唯一の直系王族となった陛下は『保安上』という理由で十歳になるまで人前へ出られなかったそうです」「十歳、まで?」ラパンは頷く。「政治は中継ぎとして即位されたシーリア様が執り行い、騎士団長である義父ですら陛下にお目通りできなかったそうです」異常。その言葉が浮かんで、サラリアの胸が小さく痛んだ。誰とも会えない。外を知らない。誰かに管理され続ける生活。その境遇は昔の自分と重なった。金髪姫として囲われていた日々。望まれる役割だけを演じ、生き方まで決められていた毎日。.「十歳で竜王となった陛下は、無表情で、喜怒哀楽のない人形のような少年だったそうですわ」「そんなこと……」サラリアは静かに首を振る。「初めて聞きました……」ラパンは少し困ったように微笑んだ。「殿方は、弱いところを見せるのは格好悪いと思っていらっしゃるのでしょうね」「そうかもしれませんね」「私はそういうところが可愛いと思いますのよ」サラリアは黙ったままだった。「弱さがあるからこそ、格好いいところも際立つでしょう?」その言葉が、ざらりとサラリアの胸を撫でた。ラーシュが一度でも弱さを見せてくれたら。過去の話を一度でもしてくれていたら。そう思いかけて、すぐに首を振る。聞いたところで、あの日の出来事は消えない。.ラパンは控えていた侍女へ目配せした。侍女は慣れた様子でトールへ話しかける。「トール様、お庭に可愛らしい小鳥がおりますよ。一緒に見に行きませんか?」「ことり?」眠気もすっかり抜けたトールは嬉しそうに侍女の手を握り、部屋を出ていった。それを見送ったサ
「……ここは?」ゆっくりと高度を下げた馬車が降り立ったのは、城ではなく可愛らしい屋敷の庭だった。手入れの行き届いた花壇。色とりどりの花々。木漏れ日の中で揺れる木々。そのどれもが温かな生活を感じさせる。(お城じゃ……ない?)サラリアは胸を撫で下ろした。ドラコニアへ戻る以上、また王城へ連れていかれるものだと思っていたからだ。.オーレリウスは竜の姿から人へ戻ると、何事もなかったかのように服の乱れを整えた。「私の家です」「え?」思わず聞き返す。「サラリア様のお住まいの準備が整うまで、こちらでお過ごしください。この浮島には私の家族と使用人しかおりませんので、安心してお過ごしいただけます」「家族……」オーレリウスが微笑みながら視線を向ける。その先には小柄な女性が立っていた。雲を思わせるふわふわとした淡い桃色の髪。優しく細められた瞳。白い肌に映える赤い唇は艶やかで、柔らかく微笑むだけで同性のサラリアでさえ胸が高鳴るほど愛らしい女性だった。(それにしても)その華奢な身体には似合わないほど豊かな胸元が目を引く。(足元、見えているのかしら)他人事ながら心配になってしまう。「ラパン・ウィンドスケイルと申します」雰囲気に似合う、おっとりとした声だった。「どうぞよろしくお願いいたしますわ、サラリア様」柔らかな笑顔に自然と肩の力が抜ける。「お部屋へご案内いたしますわ」案内された客間は、思わず息を呑むほどサラリアの好みだった。木目を活かした家具。窓辺には本を読むための長椅子。派手さはないが落ち着く色合いでまとめられている。「こちらがお召し物ですわ」ラパンがクローゼットを開く。並んでいた服を見たサラリアは驚いた。どれも自分の好みに近い。淡い色合いで動きやすく、それでいて品がある。「……素敵」思わず本音が漏れる。「気に入っていただけて良かったですわ」ラパンは嬉しそうに笑った。(ただ……)首元から手首までぴったり隠れる喪服のような黒い服がいくつかあった。他の服と一線を画している。「これらは着ないと思うので返却していただけますか?」「ですわよねえ」「え?」同意されて思わずサラリアは聞き返したが。ラパンは「いえ」と笑っただけだった。「承知しましたわ」ラパンは何やら小さく呟く。「独占欲丸出しですわねぇ」
空の旅は、サラリアが想像していたよりもずっと快適だった。飛び立つ瞬間こそ大きく身体が揺れたものの、その後は嘘のように安定している。オーレリウスの風魔法が空気の流れを整えているらしく、鳥籠のような馬車は風に流されることなく滑るように空を進んでいた。窓の外には雲海が広がる。青空はどこまでも高く、世界そのものが穏やかだった。旅の間、オーレリウスはトールの質問へ一つひとつ丁寧に答えていた。竜族のこと。魔法のこと。ドラコニアの暮らし。そして――発現のことも。『発現の兆候が現れましたら、私がトール様を専用の浮島へお連れします』「無人、なのですよね?」『そうです。そこで思う存分暴れていただきます』さらりと言われた言葉に、サラリアは目を瞬かせた。『島中を水浸しにしても構いませんし、最悪の場合は浮島を壊してしまっても問題ありません』「こ……壊す?」思わず聞き返してしまう。浮島を壊す。あまりにも現実味のない言葉だった。『王竜は地の魔法も扱えます』オーレリウスは穏やかに説明する。『発現で何が起きるかは個人差がありますが、可能性としては十分あり得ます』そして苦笑した。『まあ、何をやらかすかは誰にも分かりません』(……やらかす、って)そんな軽い表現ではない。思わず心の中で突っ込みながらも、サラリアの背筋には冷たいものが走っていた。(もし、あの町で発現していたら)ハンナ。読書仲間たち。店へ通ってくれた常連客。子どもたち。あの町で暮らす全員。(この子は……)興奮して疲れたのか、腕の中で眠そうにしているトールを見る。(この子は、大勢の人を殺してしまったかもしれない)胸が締め付けられた。発現のことなど知らなかった
家ごとの引っ越しは、驚くほどあっさり決まった。建物は取り壊すのではなく、建っている土地ごと切り取り、そのままドラコニアへ運ぶらしい。「今日中には住めるようになります」そう説明されたとき、サラリアは思わず聞き返してしまった。「……今日中に、ですか?」「ええ」オーレリウスはこともなげに頷く。「竜族は力仕事が得意ですので」得意。それだけで済ませるには、あまりにも規模が大きい。竜族の機動力に、サラリアはただ感心するしかなかった。◇「やっぱりねぇ」別れの挨拶へ向かったハンナは、サラリアを見るなり優しく笑った。「リアちゃんは、ずっとここにいる子じゃないと思ってたわ」「そんなふうに見えていましたか?」「見えてた見えてた」ハンナは笑いながら頷く。「どこか旅人みたいだったもの」サラリアは苦笑した。否定はできない。ずっと逃げ続けてきた。ようやく見つけた居場所だった。でも、それでも心のどこかでは、また離れる日が来るのではないかと思っていた。違う。来る―――そう確信していた。.「店まで持っていってしまって、ごめんなさい」「何を言ってるの」ハンナは軽くサラリアの手を叩いた。「気にしなくていいのよ」そして、店のあった場所へ視線を向ける。「更地になるなら、あそこに学校を建てようって話になってるの」「学校?」「ええ」嬉しそうに目を細める。「読書仲間と話してたの。本を読むだけじゃもったいないって」「せっかく覚えた文字なんだから、子どもたちにも教えようって」「計算もね」「お母さんたちには子育てや暮らしの知恵を教え合ったり」夢を語るハンナは、
「さて、こちらの建物はどうなさいますか?」オーレリウスの何気ない問いに、サラリアは首を傾げた。「建物、ですか?」「ええ。この家です」オーレリウスは当然のように続ける。「売却や賃貸とするのであれば、こちらで手配いたします。もちろん、そのまま残しておくという選択肢もありますが、人が住まない家は傷むと聞きますので」「……え?」サラリアは思わず目を瞬かせた。「傷むって……せいぜい埃が積もる程度では?」その言葉を聞いたオーレリウスは一瞬だけ目を丸くした。そして、何かに気づいたように苦笑する。「失礼しました」深く頭を下げる。「私の説明不足です」「説明不足……?」「発現は、一度で終わるものではありません」「え……?」「始まり方や規模には個人差がありますが、終わる時期はほぼ共通しています」オーレリウスは静かに続けた。「発現は十五歳頃まで、不定期に何度も繰り返し起こります」サラリアは言葉を失う。「トール様のご年齢ですと、十年間くらいですね」十年。あまりにも長い年月だった。「幼い頃ほど頻繁に発生するので、しばらくはドラコニアで生活していただくのが最も現実的なのです」オーレリウスは穏やかな口調で説明する。「もちろん、ご希望があれば地上との往復も可能です」「本当ですか?」「ただ、お勧めはいたしません」「どうして……?」「浮島へ上がるたび、身体を慣らす必要がありますので」「慣らす?」「空気です」サラリアは首を傾げた。「ドラコニアは空にあります。空気の密度が地上とは違いますので、慣れていない竜族以外の種族の方々は身体
それから始まった蜜月期と呼ばれる時間をサラリアはほとんどラーシュの腕の中で過ごした。朝、目を覚ませば隣にラーシュがいる。食事をしていても抱き寄せられる。夜になれば当然のようにラーシュはサラリアを抱いた。竜族は体温が高く、ラーシュに抱き込まれるたびぽかぽかと温かくて安心したが―――問題があった。竜族と人族では体力が違いすぎた。ラーシュは加減していると言っていたが、それでもサラリアは毎夜抱き潰されて気絶するように眠りについていた。「ラーシュ、休憩……お願
至近距離にラーシュの顔があった。長い睫毛。 白い肌。 冷たい美貌なのに藍色の瞳だけが熱を帯びている。気づけば見上げる形になったラーシュの顔を見ていた。視線がラーシュのものと絡まった途端、サラリアの背筋を痺れるような甘さが駆け上がった。腰の奥がじわりと熱を持ち、身体の芯が溶けていくようだった。「な、なに……?」自分の身体なのに、自分のものではないみたいだった。力が抜ける。息が苦しい。頬が熱い。怖いのに、逃げたいのに、ラーシュから目を逸ら
『こんばんは』その言葉と同時に、ふわりと夜風に乗って花のような香りが漂ってきた。甘いのに冷たく、澄んだ夜気の中へ静かに溶けていく香りだった。サラリアは息を呑んだ。欄干に一人の男が立っていたから。月を背にしたその姿はあまりにも現実離れしていた。漆黒の髪が風に揺れ、逆光だがかなり端正だと分かる顔立ち。長身の身体は騎士らしいのに妙にしなやかで、まるで夜を切り取って人間の形へ閉じ込めたようだった。月光が彼だけを照らしている―――そんな錯覚すら覚えるほど美しかった。人間ではない。
サラリアが年頃になると、各国から見合い話が届くようになった。数年前から周辺国が天候不順による収穫高の減少からの食料不足に悩む中、サラリアのいる国は例年通りの収穫高ということで金色姫の価値が上がったからだ。五穀豊穣をもたらす神の化身。国に富を呼び込む幸運の象徴。父王はそんなサラリアを珍しい宝石でも見せびらかすように他国の使者に自慢した。宴の席では隣へ座らせ、「我が金色姫だ」と酔った顔で笑っていた。神秘的な存在として扱われることに慣れていたサラリアは微笑んでみせながら心の中では冷め切っていた。父王はサラリアを自慢







